クドカン大河の主役で箱根駅伝の父、金栗四三「消えたオリンピック走者」


日本初のオリンピック選手(マラソン)
2019年大河ドラマ「いだてん」の登場人物(監督は宮藤官九郎)
グリコの箱のランナーのモデル(諸説あり)
金栗四三の生涯を語る一冊。(名字の読み方、カナグリ、カネクリ説等あり)



1912年ストックホルム五輪に、短距離の三島弥彦とともに出場した日本初のオリンピック選手。
また、日本で初めて世界の壁を知って絶望した選手。

世界の舞台で大和魂を見せつけてやるつもりが、国の支援を受けている欧米選手と違って、宿泊施設がない。競技場までタクシーがつかまらない。用意してきた足袋は、硬い舗装道路に耐えられず穴があいた。
最終的にレース中に気を失った金栗は、棄権の手続きをしないで帰国してしまい、記録上は50年以上走り続けている「消えた日本人」として現地の有名人になってしまった。

帰国後「根性無し」と罵られつつ、4年後に向けて涙ぐましい努力を始めたが、25歳で参加するはずだったベルリンオリンピックは、世界大戦で中止。
敗北すら許されなくなった金栗は、日本でスポーツイベントを開催して、次世代の日本人に走ることの楽しさを伝えることに決める。


当時の日本人にとって走ることは鍛錬で、わざわざ趣味で走る人はいなかった。
欧米人は楽しむために走る。女子もショートパンツ姿でスポーツをする。

ストックホルム五輪の惨敗で道ばたに倒れこみながらも、
日本は世界に遅れをとっている、スポーツは楽しくて、感動を与えるものだと感じることから始めなくてはならない、と。
その思いだけはストックホルムから持ち帰ってきた。


そして思いついたのが、壮大な風景の中をタスキで繋ぐ「アメリカ横断駅伝」。
この偉業を達成したら、日本中が感動し、走ることに興味を持つに違いない!
いっぺん海外で大失敗したのに、こりずにもっと無茶な計画を立てている。
今でいえば新庄剛志やアントニオ猪木のような、
「ちょっとぶっとんでるけど、何か面白いことをやらかしてくれる人」だったのだろう。

年齢とともに、選手としては衰えても、日本に長距離走が根付いたら、やがて自分の思いを受け継いだ日本人が、オリンピックで勝てるようになるかもしれない。

アメリカ駅伝はさすがにスポンサーがつかなかったが、国内で、ロッキー山脈のように険しく、風光明媚なコースを検討した。
候補地のひとつが箱根。

初のオリンピックで敗退した悔しさが、ずっと繋がって、現在につながるイベントの形になっていく。
第1回箱根駅伝の号砲を鳴らしたのが、金栗四三だった。

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作者の方が研究をするうちに元気がうつってしまい、ランニングシューズを買ってしまう展開にちょっと笑みが。

カラテカ矢部、「大家さんと僕」で第二の有吉になる

「電波少年」の呪縛を断った!
お笑いコンビ「カラテカ」矢部太郎が出版した「大家さんと僕」が売れている。



住んでいたマンションを追い出された「イマイチな芸人」矢部は、不動産屋で珍しい物件を紹介される。
新居は一戸建ての2階。下の階には87歳の大家さんが住んでいる。
「大家さんは素敵な方ですよ」

上品なおばあ様と、一つ屋根の下で生活が始まる。
家に戻れば、干していた洗濯物がきれいに畳まれている。
電気をつけたら「おかえりなさい」と電話がかかる。

戦時中の苦労話にしんみりして、ほうじ茶を飲んで、初恋の人の思い出を聞いて、二人で血圧を測る。
お笑いライブやゴールデンの時間帯向けの笑いではない。
ささいな出来事。ちょっとした笑い。

「大ヒット中!泣ける!」
と紹介されていて不安になった。そういうのじゃない。
わかりやすいドラマチックな事は起こらない。だからこそ、読者が自分の状況と重ね合わせやすい。
みんな大家さんに自らの亡き祖母を重ねたり、普段は会話のない家族それぞれに過去があることを思う。

もうひとつ、本作に漂うのは「別れの雰囲気」。
冒頭の不動産屋での会話「高齢なのでよろしくお願いします」の時点から、読者はいつか来る「その日」を意識してしまう。
「いつか別れがあるから、なんでもない日々が大切だ」
なんてありきたりな一言にまとめず、ただ平穏な日々を描いた。押しつけがましくない漫画。上品。
他の登場人物たちも、矢部をいじったり、遺産がどうこう言ってからかうけど、本当に人を傷つけることは言わない。


パラパラマンガで成功した「鉄拳」みたいだけど(そういえばカラテカもゲーム名が元ネタだ)
「電波少年」から苦労して開花した点では、第二の有吉弘行かもしれない。

有吉がひとつの番組に人生めちゃくちゃにされ、究極の一発屋として馬鹿にされ、這いずり回っていたからこそ、器用な成功者、品川祐への「おしゃべりクソ野郎」は衝撃だった。

矢部もかつて「電波少年」で、アフリカの部族の言葉を学習して漫才をする企画に参加した。
有吉ほどじゃないが一度有名になってからの、長い長い低迷期。
「お笑い向いてないのかも」
と自問自答して、作中でもスベりまくる。正直、向いてるように見えない。細すぎて、体を張った企画をやるとイジメに見える。

40近くまで頑張っても一向に芽が出ない人生に、そろそろ絶望してもおかしくないのに、まだこんな優しいものを描ける。
苦労があった大家さんも、矢部太郎も、優しいままで生きていける。


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「電波少年」出演者の出川、松村らは日常的に不良にからまれて暴行されていた。
後継者に近いのは安田大サーカスのクロちゃん。

吉本浩二「淋しいのはアンタだけじゃない」レビュー

「ブラック・ジャック創作秘話」で「このマンガがすごい!」1位になったドキュメンタリー漫画家、吉本浩二の
「淋しいのはアンタだけじゃない」が完結した。
いろんな方面から語れるマンガだけど、まず「マンガの力」「マンガ表現の可能性」の作品だと強調したい!


話は、マンガ好きの聴覚障害者との出会いから始まる。

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彼らはマンガの擬音表現で、世界に音があふれていることを知った。
「ぼくたちマンガ大好きなんです」
その声にこたえて、作者は聴覚障害を次回作のテーマに決める。

一般的に聴覚障害は「耳が遠くなる」イメージだけど、実際は音が歪んだり、強烈な耳鳴りが起こる。
24時間止まらない耳鳴りで精神を病み、疲れや幻聴が絡みあって膨らんで、手に負えなくなっても見た目はふつうの人にしか見えない。

そんな聴覚障害を絵にするとどうなるのか。編集者と話し合いながら言葉を歪め、擬音を目障りにする。
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生まれつき耳が聞こえない人が、子供のころにマンガ表現で世界の音に触れたように。
聞こえる人にマンガ表現で「聞こえない人」の世界を見せる。

常にマイクのハウリング音のような耳鳴りがする人には、そのままマイクの絵を描くし、何をやっても感覚がなくてフワフワしていると訴える人は、本当にフワフワ浮いて描かれる。

吉本浩二の「バカまじめ」な描き方も生きる。
たとえば対談では、話し相手と手話通訳者がどの席に座るのか、位置関係が正確に描かれる。
なぜか食っているものもちゃんと描かれる。
どんな相手でも、同行の編集者は出された物をモグモグ食うんだけどその様子を毎回描く。
一見どうでもいいことまでキッチリ描くことで、作者は誠実に真剣に描いていても、小さじ一杯分の笑いが生まれる。

「聴覚障害のマンガ」なんだけど、耳の不自由なヒロインが出てきたりするわけじゃない。マンガしかできない表現、マンガ的表現の可能性を描いたマンガだ。
実写化したり、ストーリーだけ抜き取れない。画力がすごいんじゃない。「このマンガがすごい!」としか言いようがない。


聴覚障害でリンクしているけど別の話である佐村河内守の「ゴーストライター騒動」が絡んだことは、幸運だったのか、不幸なのか。

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現代のベートーベンと言われた作曲家、佐村河内守が、実は耳が聞こえていたとされたスキャンダル。
佐村河内本人に取材のアポがとれる。それも、映画「FAKE」の密着取材中だという。

尊敬するドキュメンタリー映画監督、森達也に撮られるかもしれない。
自分たちもスクリーンに大写しにされて、悪質なメディアの一種に見えてしまうかもしれない。

佐村河内を撮ったドキュメンタリー映画「FAKE」に作者は出てないが、実はカメラを構える森達也自身を描く二重構造になっていた。


興行成績では明暗が分かれた。
「FAKE」は聴覚のことには触れず、テーマをマスコミ批判などに絞って連日大盛況。

「淋しいのはアンタだけじゃない」は聴覚の話と、佐村河内氏の取材が同時に進む。
実際に読まないと内容かわかりにくく、単行本の帯文句まで売り方に迷っている様子で、売り上げは大惨敗。

だけど内容を比べると、
映画では静かに生活しているように見える佐村河内が、マンガでは激しい怒りと苦悩を語っている。
映画終盤に出てくる補聴器は普段使っていないこと、耳が聞こえなくなっても発声が崩れないわけを答えている。
「FAKE」で森達也監督のカメラが届かなかった暗がりに、吉本浩二のペンは届いている。

マンガ好きでいてくれた人の思いを受け取って、マンガ的表現に苦悩して、作者自身も成長していく。
「マンガの力」のマンガだ。だから「このマンガはすごい!」

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森達也「FAKE」がネトフリ配信開始、ほか読書記録


忙しくて、ちゃんとした感想にまとめることができません!四国は国体やら祭りで休日もあわただしいです。ああもう。

FAKEは鑑賞直後に勢いで書いたけど「淋しいのはアンタだけじゃない」を読み直したら加筆修正したくなった。



「バブルノタシナミ」
阿川さんは、TVタックルで大竹まこと、ビートたけしの間にいる姿が記憶にある。
あの人が間にいると、大竹、たけしの怪物ふたりが、お母さんがやんちゃな兄弟ゲンカを見守っているようだった。

厳しい家庭に生まれ育って、若いころは二世としてもてはやされ、うっかりテレビ業界に入ると無知ゆえにコテンパンに怒られる毎日。
同世代がバブルを懐かしむけど、自分にはバブルの恩恵なんて何一つない。
若いころから苦労続きの人生なのに、苦労人のイメージがない。
ざっぱ~んと寄る年波。初めてのゴルフに胸をおどらせる。一人で通っても楽しい打ちっぱなし、グリーンでさえずるウグイス。
テレビの語り手じゃない、エッセイスト阿川の感性がさらっと炸裂。




「FAKE」怒りよりやるせなさで体がフルフルするのは俺だけでしょうか。
なんでそんなことするんだ・・・!何なんだよ・・・!

聴覚障害がありながら作曲家をして、現代のベートーベンともてはやされた佐村河内守を撮り続けた映画。
新垣隆氏が「彼は作曲もしてなければ耳も聞こえるはず」と告発したが、真実はどこに。



ドキュメンタリー漫画家の吉本浩二「淋しいのはアンタだけじゃない」は、聴覚障害者にインタビューした漫画なんだけど、その中で佐村河内家に取材に行っている。(こういう作品にでかい賞をあげちまえ!)

来客に出すケーキや、自分の体や周囲を叩いて音を出す佐村河内が映画で観れる。
テレビでは面白半分で、何もかもウソだったように報道されたけど、映画では最後まで、佐村河内側によりそいながら、あえて
「嘘だってつこうと思えばつけるよ?」
と、鑑賞者を立ち止まらせるような態度で終わった。

マンガでは騒動が大きくなって、専門的な検査をしたら聴覚障害が本当とわかって、検査結果をマスコミに配ったんだけど、メディアはそこに触れず面白おかしく報道することを選んだ。
このことを佐村河内守本人はいちばん悔しく思っているようだが、映画では聴覚に触れず、盗作疑惑にしぼった。

「淋しいのは~」で、聴覚障碍者が「これは自分だ。自分が笑いものにされている」って泣くシーンがつらいんだけど、「FAKE」もまたきつい。
フジテレビのスタッフが
「あなたに関する番組を作りたい」「司会はおぎやはぎ。芸人だし、バラエティ風ではあるけど、あなたの言い分をその中で伝える」と挨拶に来る。

出演のオファーを断ったら、実際に放送されたのは新垣隆が「聴こえない人」を演じるコント!
無言で観ている佐村河内。
年末の「ガキの使い」でバカな役をやる新垣隆。
佐村河内。

ベッキーより、ゲスの極みよりも前にこの事件があった。
人は、傷付けても心が痛まない存在を求めているのか。




五社英雄の生涯。これおもしれえええ!

当たりはずれが大きくて、映画監督として取り上げられることがなかった人にスポットを当てる。
「吉原炎上」「極道の妻たち」の監督で、時代劇の刀がぶつかる「キンキン」音の発明者。

クロサワ映画全盛期で、テレビドラマがまだ見下されていた時代にガッツで刺激的な作品を撮る。

軽くぱきっと折れる撮影用の丸太で、丹波哲郎が頭をぶんなぐられるシーンの撮影。

だが、悪役に渡されたのは単なる丸太。
指示通りに丹波はぶん殴られて、卒倒する丹波と、戸惑う悪役の姿が生放送のカメラに収められた。
ありえねー!
怨念がこもったような書き込みだらけの台本の写真収録。


4Kテレビで遊ぶメタルギアが難しっ!テレビを買ってからわかったことも、のちのちまとめたい。

自分の基地運営とアフガニスタンで兵士の殺害、誘拐、調査を繰り返す。
ゲームを通して指導者と一兵士になって、戦争をやる側の疑似体験。
これまで小島監督作品はエゴを押し付けられるようで苦手だったけど、今回は素直にすごい。楽しい。疲れる。

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いましろたかし「新釣れんボーイ」「曇天三茶生活」改題問題に反対する


山田孝之プロデュースで「ハード・コア」が奇跡の実写映画化。
それにともない、いましろたかし評価の波が静かに起きようとしているのかいないのか。

「ハード・コア」新装版にあわせて、新刊「曇天三茶生活」が発売された。
これが「新 釣れんボーイ」の2巻を改題したものだったのに気づかなかった。

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ちょっと!これが1巻と2巻だってわかる人いますか!?
お客様の中に、これが続きものだと判別できる方、いらっしゃいますかー?

1巻が売れなくてタイトルを変えられたらしい。
実は釣りもほとんどしてないのがまずかったか。
2巻は、夜ひんぱんにトイレに起きなきゃいけないのつらいって話だった。


改題したくなる気はわかるけど、「新釣れんボーイ」の名を外しちゃうのは大反対。ていうかタイトル変えたところで売れない。



十年以上前に、作者をモデルにした釣り好き漫画家ヒマシロを描いたのが「釣れんボーイ」。
そこから長い空白期間があって、アラフィフになったヒマシロ先生の日々を描くのが「新 釣れんボーイ」。



この間に10年以上の空白期間がある。

元祖は、漫画家として売れなくて、ぼんやりして、合間に釣りに行ってもヘタクソな「釣れんボーイ」だった。
「新」になって、ほとんど釣りに行かずにアベ政権批判や病気のグチ、原発への怒りがメインになった。
それでもヒマシロ先生が出ているから「新 釣れんボーイ」でいいと思った。
ドラゴンボールを探さないんならタイトルを変えようと言えますか。悟空が出ればドラゴンボールだ。

ヒマシロ先生は、少年時代、売れない時期、「新」がつくまでの空白期間、ずっと自然と動物が好きで、悩み事があると渓流釣りをしている。
そんな自分を受け止めてくれた川が汚されて、魚を誰かにあげようとしても安全かどうか気にされるようになった。
だから「新 釣れんボーイ」では原発に対して怒っている。

昨日今日わいた怒りではないのに、「曇天三茶生活」を独立した作品と勘違いして読まれると、新聞読んで原発に怒ってるおじさんを描いた、スケールが小さい作品に思われてしまう。


「新」から元祖に戻って読み返すと、作者も意図していなかったであろう感情で、胸がくっと痛くなる。
アマゾンで無料立ち読みの範囲でいい。雰囲気を見てほしい。

元祖で、釣りは決してハッピーに描かれていない。
使えないアシスタント、ぱっとしない日々。今と違って猫に囲まれる生活も羨ましがられることじゃなかった。
売れてチヤホヤされる生活とはかけ離れたヒマシロに残された、ささやかな楽しみが釣りだった。

それすら奪われた現在が「新 釣れんボーイ」

健康問題と釣り具の値上がりで、ささやかな趣味すら心おきなく行けない。
貯金残高や印税もリアルに書かれて、アシスタントを雇っていたのが夢のようだと懐古する。
元気に走り回っていた猫たちは写真の中にいる。

仲間、猫たち。わざわざ遠出して釣りに行ける健康な体。若さ。
若きユーウツな日々が、過去になってからどれだけ大切だったのかわかる。

(腕前が)釣れんボーイから、
(老化と環境問題で)釣れんボーイに。
話は繋がっている。タイトルを受け継ぐことで、「元祖」と「新」の間のヒマシロ先生を想像することができる。

「ハード・コア」公開でいましろ作品を掘り起こす人たちを混乱させないため、タイトルの改悪に反対する。

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