「ヘビーレイン 心の軋むとき」に責任を感じさせられる

PS3から4へリマスターされた「HEAVY RAIN 心の軋むとき」クリア!

次々と殺人を犯しては、現場に折り紙と花を置いていく「折り紙殺人事件」が発生。
最新の調査ツールでデータを収集していくFBIの刑事、アナログな手段で1人づつ犠牲者の家族にアプローチする探偵など、複数の登場人物が犯人を追う。

主人公も、大切な息子をショッピングモールの人ごみで見失ってしまう。
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選択肢が焦りで揺れて、時間とともに変化する。


メジャーな映画だと、序盤で大男がヒロインに襲いかかっても、
「なんだかんだで死なずに、機転をきかせて逃げるんだろう」とか、過去のお約束から、安心した上で観ていられる。
悲惨な展開になっても、それは作り手がそうしたもので、観ている側が責任を感じることはない。

ヘビーレインは「ゲーム」だ。
ぼくらはゲームを信用していない。どんな救いのない結末に分岐するかわからない。
自分のミスのせいで犠牲者が増えるかもしれない。
用意された何通りかの中から選ばされただけにも関わらず、
「こうなった責任が自分にある感じ」が確かにあって、嫌悪感でたまらなく、それでも途中でやめられなくなる。

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たとえば、映画でよくある、互いに銃を突きつけ合うシチュエーションになる。
相手は興奮状態。どうやら情報を持っている。いつ撃たれるかわからない。こちらもいつでも発砲できる。

なだめる、怒る、駆け引きをする。選択肢が出てきて、つぎつぎ選ばされる。
相手が落ち着いてきた。このままなら無事に終わりそうだけど、まだ何をしてくるかわからない。
そこに、他にも武器になりそうなものが視界に入ってしまう。

さあどうする?どうする?これなら?それで正しかったか?
次々とゲームに問い詰められる。

容疑者から暴言を吐かれる。暴力で返すか、我慢するかを問われる。
我慢。
すると相手はどんどん侮辱を重ねてくる。
むしろこいつには手荒な行為でやり返した方が、最終的には子供たちの命を救うことにつながるんじゃ…と、思わせるところまで来る。迷っていると選択肢が消えていく。

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実際に凶悪事件の捜査ってこんな?とか、思うことはあるけど、とにかくプレイヤーの焦らせかたが上手い。
その質問、事情聴取、急に答えられるわけないじゃないってところを鋭く突いてくる。

自分のせいでまずい展開になってない?なってない?とプレッシャーがきつくなってきて、息苦しくなったところでゆるめられ…の繰り返し。
クリア後には「あそこどっち選んだ?」と、生還者たちといろいろ語りたくなる。

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