暖かいドラッグエッセイ「アマニタ・パンセリナ」

中島らも「アマニタ・パンセリナ」

この本は学生時代に読んでおくべきだ、と親に勧められた本がいくつかある。
それは本当にベタなチョイスで司馬遼太郎だったり三国志だったり。だいぶ経ってから、親の影響ではなく単に大作を読んだ満足感を味わいたくて竜馬がゆくを全巻読んだ。

もちろん感動したんだけど、本の内容以上に記憶に残ったのが
「金が無いので、図書館のボロボロででかい単行本を電車の中で読んでいると正面の酔っぱらったおじさんが感動した様子で持っていたエログラビア付きの週刊誌をくれた」
というイベントだった。「司馬遼太郎を読む若者」を見るとお父さん世代は何か嬉しくなるらしい。
ただ、司馬遼太郎が面白かったのを認めたうえで自分が親の立場だったら一か八かで中島らもを子供に読ませたい。

らもさんとの出会いは「こらっ」というエッセイで、気に食わない物事にいろいろと文句を言うという内容だった。そこで「今どきの若者はけしからん」と安易に口にする人たちを怒るんだけど、読んだタイミングが良かったせいか妙に嬉しくて、片っ端から読んでいった。
青春時代を書いた「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」ドラッグについて書かれたエッセイ「アマニタ・パンセリナ」は抜群に面白くて優しくて、何度も読み返した結果、もうカバーがぼろぼろで買いなおさないといけない。

「アマニタ」はドラッグエッセイだけど、ドラッグを肯定するわけでも否定するわけでもない。
マリファナやハシシを服用したときの笑い話から、病気の痛みからドラッグに手を出すしかなかった人たちの悲しみ、ドラッグにまつわる危険な話や歴史的な背景などが書かれている。
ドラッグの危険さを書きつつも、
「危険性を知ってなおかつそれを手にしたい人がいるなら、それは本人の勝手であり、私を含めて勝手に死ねばいい。口出しはするな。禁止するな」というスタンスだ。他人を縛ったり、生き方を決めつけたりしないのだ。

天才的な才能を持ちながら分裂症で脅迫妄想の気もある「カド君」というミュージシャンが出てくる。
睡眠薬を注射器で溶かしてうっている彼の姿を見て、とりあえず俺たちはミュージシャンだし、もっと面白そうなものを揃えようよ、と家の中からギター、オルゴール、目覚まし時計、おもちゃのシンバルを持ったサルなど、音の出るものを集めてくる。そして注射器をピックに持ち替えさせてセッションが始まる。

なんでこのワンシーンだけで、竜馬が歴史の1ページを開いたとき以上に感動してしまうんだろう。
ドラッグどころか、今でも自分はタバコすら嫌悪して、高校時代には「あんな連中は社会のゴミだ」ぐらいには思っていたはずなのに。

幻覚サボテンを育てて食ってみよう、という回での、
サボテンを育ててみたまではいいものの小っちゃくて可愛いので食べる気がなくなってくる、というくだりは何ともとぼけていて笑ってしまう。

連載終盤ではうつ病が再発して連載中断というアクシデントに陥る。奇妙な幻覚を見たり、心の中で二人の自分がケンカを始めたりする。
「どうして僕が死ななきゃならない。周りには愛しい人もたくさんいる」
「それは、死んで無になったお前には関係のないことだ」
最終的には生きるほうを選ぶんだけど、ありがちな人生賛歌が始まるわけではなく、
やれやれ、というテンションで生きていく。

この本は「ドラッグエッセイ」というジャンル名だけでキワモノの烙印を押されそうだけど、いい本だ。
アル中、うつ病、睡眠薬中毒を経験しながらも多少の笑いをまじえつつ生きている中島らもという男の生き様。
社会的には落ちこぼれと言われる人たちへの優しい視線。
アンダーグラウンドな世界を覗き見る面白さ。

少なくとも自分は読後「世界には自分の知らないことがたくさんあるんだ」というポジティブな気持ちになれた。
学校では偉人さんの話だけじゃなくて、ここに出てくるような人たちの話をもっと教えてもらいたかった。


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