ココロ折れた僕と「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」中島らも

2013年度下半期突入。
現実でもネットでもいろいろ交流を深め、趣味を広げようとしておりましたら、さっそく心が折れて寝込んでおりました。

それも、人に怒られてへこんだまま気分が上がってこないので、1日寝ていたら首を寝違えたという、読んでてちっとも面白くない状況で。
まあ、いいんです。
心が折れて、首が動かなくなっただけですから。
逆に、
首が折れて、心が動かなくなったんだったら、それは大変ですけども。

てな感じで、憂鬱だったんです。(僕は「プチうつ」とか、鬱って言葉を安易に使うのを避けてるんだけど)
普段なら元気の出るような面白いものや、にぎやかなものが全部鬱陶しい。ポジティブメッセージが入ってこない。逆に不安な言葉は瞬時に胸にしみこんで膨らんでしまう。
鬱病というのは、これのもっと深く沈んだやつなのか…と、なったことのない症状を想像してしまうような落ち込みようでした。


こういうときに自然に手に取る本がいくつかあるんですが、
中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」はそのひとつです。
灘校にトップクラスの成績で入ったエリートが、ギターをひいたり酒を飲んだりしているうちに、いわゆる落ちこぼれになって、モラトリアムを漂い続ける。学生時代の明るいエッセイと青年時代の憂鬱な日々の思い出が書かれているんだけど、これがすごく胸にしみる。
若いうちに読むべき本、というのがあるけど、これは若すぎても解らなかっただろうし、大人になりすぎていても鼻で笑っていたかもしれない。タイミングよくこの本と、中島らもという人を知れてラッキーだった。
舞台は70年代の薄暗い定食屋、競馬場、バー、劇場。

クスリまみれ酒まみれの若者たちとの笑い話のあと、急に浪人仲間の一人が自殺をした話になるんだけど、僕はこの一編がすごく好きだ。
高校時代はスポーツ少年で、寄り道で買ったかき氷を強奪するような明るい友人が、浪人生活に入ってからだんだん塞ぎこみがちになり、ある日急に暗い話をしたかと思うと、田舎の家で、壮絶なやり方で命を絶ってしまった。
落ちこぼれてアル中になって鬱を発症して、さんざんな目にあいながらも生きていた中島らもはこんな言葉を残している。

薄汚れたこの世界に住み暮して、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。
 ただ、こうして生きてみるとわかるのだが、めったにない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きていりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。



らもさんのエッセイは多すぎて、エピソードもかぶってたりするんだけど最初の一冊はこれがお薦めです。

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