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「レッドデッドリデンプション2」ストーリーモードをクリアしました。1


このゲームが用意していることの2割ぐらいしか通過していない気がするけど、ざっとこのゲームの内容の表面をすーっと味わっていっただけだけど、ひと月とちょっと、本当に、毎日、ずっとゲーム内世界で生活していた。

巨大な西部の世界で、馬をパカパカ走らせる。蹄の音が気持ちいい。
薪割りをして、草木を分けて、動物の気配を感じて、弓で撃つ。ヘッドホンは絶対推奨。BGMが控えめですが、音作りが緻密に緻密に緻密に緻密にしてあって、画面の中にもうひとつの世界が存在する。感じられる。

アクションはL2を押し込んでR2ボタンで発射。それに加えて、環境によって銃声が響いたり銃をひとつづつ磨いたり飾りをつけたりできる。慣れたらスティックを押し込んで、時間の流れをスローにして、早撃ちで相手を仕留めることができる。

「銃」と「コントローラ」は形が全然違うのに、
ボタン押して、スティックを押し込んでチャチャッと敵にマーキングする、初めての操作が「扱ったことのない、銃ってこんな感じかも」と思える。
反射神経はいらない。
このゲームやってあっと思ったのは、
「アクションゲームじゃないんだ!?」ってこと(何ならアクションはとばせる)。

それより、狩りの手順とか、馬と親交をふかめてないと銃声に驚いちゃうとかの、細かいリアリティに気付いて架空の世界のリアリティ濃度に唸ったり、バカだなと笑って遊ぼう。
登場人物が覚えられなくてもいいじゃないか。夕暮れがきれいだ。動物たちはみんな独自の思考で生きている。見つけて図鑑をうめよう。

土地によって違う植物を採取して加工できる。野生のニンジンを採ってみよう。
ぱきぱきと草をつかんで小枝が折れる音、ぼこっと土から出てくる音。手ごたえがある。

ゲームの華といえる銃撃戦や探索よりも「ゲーム内でこんなことやらされるの!?」って細かい仕事のほうが大量に用意されている。
だけど、子供のころはイモほりでも、何なら雑草取りでも、ぼこっと引き抜けた瞬間は気持ちよかった。やらされる掃除でも、ちょっと気持ちいい瞬間はあったはずだ。
RDR2のゲーム内雑用も、草木を採る音や餌をやった家畜の反応など、必ずちょっと気持ちいい感触を入れている。

ゲーム的におかしいところもあるよ。
背景は徹底してリアルなのに、主人公だけは死んだら「なかったこと」になってリトライできる。
撃たれてもパン食って回復する。他の部分のリアリティと一致してない。ゲーム的な都合だ。

ミッションを手早くクリアするとメダルがもらえるのも、自由な遊び方を否定されているようだし、ゆっくり会話を楽しむエピソードで速さを競わせるとか、意味のわからないことを求めるけどまあいい!!許す!

モノターのむこうで「もうひとつの世界があること」を面白がろう。子供がお人形でつくった家族にも設定があって、思い入れしだいで命が宿る。もうひとつの世界で生きる人々や動物に命が宿る。
この贅沢にひろい世界で、あえて一冊の本のディティール、死骸をついばむ1羽のカラスを見ているのもいい。

学校の図書室にあった「学研まんが できるできないのひみつ」の堂々としたまんがっぷり!

1976年の「学研まんが できるできないのひみつ」が電子書籍化。


文章だけの本が並ぶ学校の図書館に、学研のまんがシリーズと、はだしのゲンだけが居てもいいことになっていた。
「おいらは、まんがだぞ!まんがは勉強になるんだぞ!」と胸を張って、本棚に並んでいた。

何でもためしてみる「やっ太」と、すぐに否定する「デキッコナイス」の漫才のような掛け合いと、ガールフレンドのアララちゃん、ものしりの「けつろんおしょう」が話を聞いて、さまざまな疑問に挑む。

たとえば、日本に100階建てのビルを作ることはできるのか?
シカゴのシアーズビルは110階。日本の最高は55階。
半分の高さの理由は、たとえば、アメリカと違って日本は地盤が悪いから。

ぼくはこのまんがで初めて「地ばん」を知った。
「じめん」じゃなくて「地ばん」という言葉があるってことを。
やっ太がぼこぼこの日本を踏んで「地ばんわるい」デキッコナイスがトンカチでアメリカの土をカチーンと叩きながら「地ばんしっかり。」とやっている絵を見て、地盤の良い悪いがどういうことかを何となーく理解した。

地盤が悪くても、骨組みを工夫すればビルは建てられる。
だけど、高いビルほどエレベーターが必要になって、住むところが狭くなる。ビル風や日照権の問題もある。

やっ太とデキッコナイス、名前だけで対照的とわかるふたりが、
「こうすればいい!」
「それだと、こうなるからダメ」
と意見を出し合って、けつろんおしょうが助け舟を出す。文章だけを読むと先生が書いた文章を読むみたいになるけど、まんがだから、班の生徒が意見を出しあう形に近くなっている。

先生にあたるキャラクターが「おしょうさん」なのもいい。
新聞のまんがとか、昔のお笑い番組はおしょう成分が多かった気がする。ケンカするときは煙の中でポカスカやりあうのも、堂々とした、まんがっぷり! 文章に絵を付けたものじゃなくて、ストレートに、まんが!

巻末には、原型になった学研の連載の第一話と、親御さんへのメッセージも収録。
文字ばかりの本は70年代の「現代っ子」にはなじみにくいのです、まんがは学習の役に立つんです、読ませたいと回答した生徒、親がたくさんいます、と円グラフで説明している。ここも作品の背景だ。


「シェンムー」の遊び方を「RDR2」ではじめて理解する


これは家電メーカーと軍の人が作ってる新兵器なんです!ぼくらは実験台にされてるんです!
プレステの電源入れて「レッドデッドリデンプション2」を起動した直後に、意識がテレビに吸い込まれて時計がキュッって回るみたいに時間が早送りされる、そういう新兵器なんです!
みんなー!気付いてくださーい!!!


そういうゲームを買ってから一週間くらい経ちました。


僕の「オープンワールド苦手歴」は超長い。
ゲームの中に街を作った、この手の元祖的存在「シェンムー」からもうダメだった。

町の人を追いかけたり、猫を観察したりゲーム内でおもちゃを集めたり、そういう無意味なものを面白がるセンスがなかった。
ピコーンと音が鳴ったり点が出たりする分かりやすい気持ちよさがあればいいんですが、何がオモロイねんそれ、っちゅう話である。

ただ、「RDR2」をヘッドホンで遊ぶと、実写にしか見えない動植物、馬の気配。ひづめの音。世界がもうひとつ画面の向こうにあって、そっちに遊びに行くような感覚になる。

天気雨のあとで虹が出るあの感じとか、地元労働者の反応でわかる鉱山の街の血の気の多さとか、都会に出たらアメリカの田舎育ちの大男として扱われる気分とか、ゲームで見るいろんな「はじめて」がある。

あと、罪悪感。
「人をバンバン撃ち殺したくはないけど、空き家の引き出しくらいなら開けてみたくないですか?」
とゲームが誘ってくるんですよ。データのくせに。あいつらが先に誘ってきたんです。
ドット絵しかない時代の、ドラクエのタンスを開けてお金を手に入れても罪悪感はないけど、匂いを感じるほど世界を作り込まれると、隠し味程度の罪悪感があって、それがいいんだなあ。
だからやめられないんだろうなあ。
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