ケータイとタブレットの2台持ちになる。

ケータイのパーツが弱っているので機種変しに行きました。
そろそろスマホだろう。

時代に抵抗して反スマホでいたのは
「難しそうだから」
ではない。
「使いこなし過ぎそう」だからだ。

文字が読めるようになったとき、
自由にゲームが買えるようになったとき、
ネットが通じたとき、
忙しくなったとき、
動画がストレスなく観られるようになったとき、
そのたびに自分と娯楽との付き合い方は変わった。
NETFLIXと契約して、CDやDVDも買わなくなった。お手軽パズルゲームに何千円も出してたころが思い出せない。

その次は、
「ゲーム買わなくても無料のやつで充分」
「本を持たなくても電子書籍でいい」
の時期が来る。

けど、自分は昔、どん詰まりの精神的引きこもり期があったのね。その時期にゲームと本に慰められて過ごしたから、このふたつとの付き合い方だけは変えたくない。
出先で分厚いハードカバー読みふけってる人がどんな見られ方してるか知らないけど、そうしてきた。


…とかいろいろ思ってた割に、電子書籍に適したタブレット買ってきちゃったんだけど。

会話しないでネットだけ使う人は、スマホじゃなくて「ケータイ+タブレット」の2台持ちにしたほうが月々の料金ぐっと安くなるって言うんだもん!ショップのお姉さんが!専門家が!
ハイそうしますと素直にサインしてこうなった。

まあ、今のところ、
「逆に本の重みすげえ」「コントローラって気持ちいい」ってなってる。逆にね。逆にね。
人間そんな簡単に変わらないもんだな。

名前だけ知ってた任天堂のスマホアプリや、ガチャで美少女出すゲームが、一気に目の前に解き放たれた。
猫育てたり、かえるに旅させたり、パズルボブルみたいなのとか、いろいろ、アンドロイドでできることはタブレットでできます。
ゲーム序盤は易しかったのが急に難しくなったり、キャラクターに突然ゲームの評価を聞かれたり、ハードが変われば内容も変わる。
いわゆる3マッチパズルでも「猫のニャッホ」とか凄いクオリティで、目がぎゅーって疲れるまでやってた。

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パズルをクリアして部屋を豪華にしていく

スマホと違って片手に収まらないので、カードやキャラクターを集めるゲームは「手に入れた感」がなくて、
やってみればハマるんだろうなと思ってたものは、「ふーん、こんなもんか」だったりして、いろいろ面白い。

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2017年を振り返りつつカズノコを食う


毎年、年末にはベスト本やベストゲームをまとめる記事をやってるんですが、
忙しいのでサボッてしまいました。
2017年はルーチンワークをこなしながら、他のみんなが次々とプロデビューしたり執筆活動の場を広げているのを眺める、ちくちくストレスのたまる日々だった。
さっき久しぶりに家族で集まってカズノコ食ったら回復した気もするんですが、新しいことに興味をもてなかったのは、今思えばちょいウツの症状にも似てるのでゆっくり休もう。本人に全く自覚がなかったのが怖い。

ベスト本はこちら。ホーキング青山「考える障害者」
非作家の本に快作が多かったけど、一人だけ別格の刀鍛冶にもらった刀を振るってるような切れ味だった。



マンガでは吉本浩二「淋しいのはアンタだけじゃない」全3巻。
こんなどうしようもない気持ちにさせて終わりやがって!
これ話題にもなってないだと、じゃあもうダメだ!何かしらんがダメだ!




ベストゲームは、みんなニンテンドースイッチのソフトをあげてますが、持ってないので…
まだ発売して1年たってないことに衝撃です。
2年ほど前は、スマホにおされて据え置き機のゲームがなくなるんじゃないかって話してたんだけど、携帯ゲーム機がなくなりそうだ。VITA,3DS,さすがに次が想像できない。

今年は何があったっけ…NEWみんゴルとかかなあ。
「ザ・サージ」はSF版ダークソウルのような作風で、最初のボスであきらめてしまいそう。



忙しい生活が、文化を遠ざける


忙しいと、本や映画が面倒になる。
身なりにも気を使わなくなるし、酒は飲まないけどコーラとお菓子がとにかく欲しくなるし、メシも一気に食うし、休日に寝ちゃうし、「文化」が遠ざかっていく。

年始まではつまらん用事がいっぱいで、何も発信できない自分にストレスがたまって更に人生を楽しめないという悪循環。
もうちょい待って下され…!



お笑いが話題になっています。
来年は大みそか特番にTHE MANZAIとかやってくれるかもと期待しています。格闘技ばかりってのもね。

ウーマンラッシュアワーの漫才は凄かったけど、全く無名時代に島田紳助だけが「あれは天才だ」って言い出したのが凄い。
「自分の後継者はくりぃむ上田」とも、かなり前から言っていた。
あれは何だったんだろう。何でわかったんだろう。

芸人つながりで。
ホーキング青山「考える障害者」が超良かった。
「大家さんと僕」くらい売れちゃう!と思ったんだけど、タイトルが重いかな。




両手両足の使えない芸人である作者の本音トーク。ビシビシ気持ちよくて元気がでた。

同じ障害者から「障害は個性です」という言葉がでる。
いいや、障害なんか病気や事故の後遺症だ。俺は治したい。
よだれも拭けない、排せつも手伝ってもらわないといけない。子供のころは障害も健常者もなく遊んでいたけど、その友達と分かれて、自分だけ障害者の集まる学校に通った。
昔の友達が彼女を作っているあいだ、俺がどんな気持ちだったか。
この障害を「個性です」で片づけてたまるか。

言葉に実感があるし、舞台では意識的に毒を強めにするらしいけど、言葉は直球。
みんなが思うけど声には出せないことを代弁するのだ。
特別な道具を使って清掃活動に参加した乙武くんを「邪魔」と言ったのは直球すぎて噴き出した。




何か生活を変えるために、そろそろ「すまほ」なるものを買おうかと思うんですが、
何年もケータイを緊急連絡用としてしか使ってない自分はカタログ観ただけで戸惑っています。
みなさん、スマホ、どうですか。便利ですか。いくらぐらい費用かかってますか。

M-1グランプリ2017観た後の深夜の殴り書き

「大家さんと僕」の感想がまとまらないまま時間がすぎてしまいました。
「泣いた」と言ってる人は多いのに、具体的に泣いたポイントを誰も書いてないところに、この凄さの秘密がある気がする。

M-1グランプリ2017も観ました。
今年は全員負けてない凄い年。
毎回この手のお笑い賞レース観るとわけのわからん衝動に突き動かされて頭をかきむしったり外を走りたくなるんですが、これは、なんだ、あの、嫉妬しているんですか、俺は。

知らない人が4分ほど話すだけで皆に「話を理解していないはずの子供が笑った」「なぜか笑いながら泣いた」と言わせてしまう人たちの努力と才能に。
形のない芸術に生きる人たちの凄さに。

「なんとなくありきたりな仕事より、歌とかスポーツとか執筆とか話芸とかで生活してる人の方がかっこいい」
という感覚を捨てきれない。
ジャルジャルが凄かったなあ。麒麟や笑い飯の初登場や、ノーマークのアルコ&ピースの「忍者」並み。

それぞれの信じる面白さがバチッ!っとぶつかる瞬間に興奮する。
俺も何かやらなきゃ!文章で生活することに憧れてたはずじゃねえかよ!なんで忙しさを言い訳にして寝てんだ!と刺激を受ける。受けられる青さが自分に残っていたことを嬉しく思う。

その衝動を誰かと共有したいのに、上沼恵美子がどうこうとか、わざわざ苦労して捻くれた見方をしている奴は馬鹿なのか。
あと、「あいのり」のでっぱりん号泣事件、そもそもヤラセ論がどうのこうの~、のレベルで止まってる奴は、人間として進化をやめてしまったのか。

ジャルジャル命の人のツイートを眺めてたら、結果が出てさんざん泣いたあと、
審査のレベルが追い付いてないことを証明できたから、これでよかった、と納得していた。
次世代のダウンタウンになるのかな。

M-1はYOUTUBEで勝手に切り売り配信されています。
が、あそこに至るまでのルールと、今の漫才の型があんなんじゃないこと、1回でも噛んだらアウトなネタをやったことも含めてなので、えっと、あれは炭酸の抜けたコーラみたいなもんです。

よくわからん。寝る。

10月24日の雑記 文化にふれないと人は枯れていく


昔のゲームボーイのバッテリー表示の「逆」みたいに、口内炎がバッチリ出た。
今月はやけに忙しくて、疲れ切ったところに台風直撃して傘の骨折って、体を傾けたひょうしにトートバッグがかたむいて中身がちょっと濡れた。
ヨレヨレになって帰って、意識が飛ぶ感じで寝たら軽い金縛りっぽく起きた。

その中で、確保できたはずの睡眠時間を、メタルギアⅤと「淋しいのはアンタだけじゃない」に吸い取られる。
しつこく推していくぞ。「カイジ」を初めて見たとき以来の、この絵じゃないと成立しないマンガの衝撃。
実績も出しているプロでも創作にもがいて、いっしょに泥だらけの人生に並走してくれた。


読書もなし、映画もなし、音楽なし、友達との会話なし、
仕事と睡眠の往復だけで心が貧しくなっていく。
「国の行方とか今はしんどい…風呂入りたい…」ってわかりやすく荒れていく。
部屋のすみに半そでのシャツがばさばさ重なったままです。ああー。
堕落!!
先月まではジムに通おっかなー、と考えていたのがウソのようだ。
俺の求めるもっと知的にエネルギッシュな、貪欲な毎日はどこだ!
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