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ゲームフリーク 新作「リトルタウンヒーロー」配信日に社員がコロナ感染

「ポケモン」を作ったゲームフリーク完全新作で「アンダーテイル」のトビーフォックスが音楽を手がけた「リトルタウンヒーロー」。



2019年にニンテンドースイッチで配信、今月パッケージ版が発売されたが、ゲームに興味がある自分にも全く話が聞こえてこなかったぐらいなので、豪華タッグの割には苦戦しているんじゃないかと思う。

そして2020年4月にプレイステーション4版が配信されたよりによって当日に、ゲームフリーク社員がコロナウイルスに侵されていたことが判明。
他に大規模なセールを行っているソフトも多数あるため、全く話題になってない!!


ゲームフリークは、3DSで「ソリティ馬」というソリティアと競馬をミックスさせたゲームを配信している。
全3DSソフトの中でも5本の指に入るほど大好きなゲーム。目が疲れてやめたいのに楽しいわ気持ちいいわでやめらんねえ夜が続いた。

スタッフがニコニコ動画を通じてプレイヤーも参加してのゲーム大会を企画して、記念品のシールをいただいたり。巨大になったポケモンばかりじゃなくて、小さくて変わったそれでいてしっかりした作品も作るんだ、ってそういうのも全部楽しかった。


「リトルタウンヒーロー」は、PS2と3の間くらいのグラフィックのカードゲーム。
ゲーム内ではカードを「アイデア」に置き換えてる。
アイデアを実体化させて敵のアイデアを消せば敵本体にダメージが通る。

戦闘のベースはカードゲームだけど、対戦、交換、収集、編成はなくて、ルールを理解してカードの効果的な使い方によって戦う。ボードゲームかも。

公式サイトにはRPGと表記されているけど、「ポケモン制作会社の新作RPG」だと思うと序盤でつまづくだろうし、カードゲーム好きには気付かれないだろうし、発売前から埋もれてしまいそうだ。

町の探索と、ボス戦のみの、カードゲームっぽいシステム。
チュートリアルはちょっと理解しづらかったけど、把握してから遊びごたえが出てきて、ボスごとの特殊カードと対策を探り、ラスボス、エンディングではっきり愛しいゲームになった。

非対称バトルなのが特徴で、でかい敵1匹VS主人公と村のみんなのサポートで戦う。
後半になると、村を歩きまわって新しい人と知り合って、バトルはどんどんにぎやかになる。

RPGのボス戦って、たいてい遠くの城や異次元で待ち受けていて、あとになるほど孤独な闘いになりがちだけど、スーファミRPG黄金期を思わせるわかりやすいメロディで、ラスボスなんかもう、走り回っての総力戦!


そして、エンディングでリトルタウンヒーローは、終わる。

今のゲームはやり込みや追加コンテンツで、終わらないゲームが多いけど、
初代プレイステーションぐらいまでは、最後の闘いが終わってスタッフロールが流れ、THE ENDが表示されると、電源を切るしかない。

特にカードゲームは終わりのないイメージがあったので、ラスボス倒してタイトルに戻ったとき、えっ!と寂しくなり、寂しくなった自分に驚いた。

永遠に続くパターンか、高難易度が解禁されて、自分から「あっ、それ無理ッス」って身を引くのに慣れてたので、ゲーム側から「もう遊びの時間は終わりなんだ」と告げられくこの感じ、寂しい。懐かしい。

(難しいモードが追加されるかもしれないけど)あえて終わらせるゲームにしたのは、昔のRPGの感じを意識したんだと思う。

コンパクトだけどルールはキッチリ作り込んで、終わりぎわはすっと終わって達成感と寂しさを残す。
それはいまや終わらない巨大コンテンツに成長したポケモンとは別の、
「自分たちの好きな、原点になったゲームの感じ」だと思う。

ポケモンの裏でコツコツ作って、やっと皆のもとに届く記念すべき日にスタッフが病気に感染したことがわかって、検索してもみんなポケモンの次の展開が遅れることしか話題にしてない。
それが納得いかないので、リトルタウンヒーローはすごく好き、最近セールやらフリープレイでたくさん話題作を遊んだけど、ここ数カ月では一番の快作ですよと、それを自分だけでも言っておきたい。

ライフイズストレンジ2 レビュー



思ったよりつらい内容で進められない、なんて感想がいくつかあったLiS2。

発売直後に買った人は前作のファンだろう。
前作に気持ちを揺さぶられて、彼女らはボタンひとつで生き返るゲームキャラではない、画面の向こうで生活している人間だと信じられる感性を持った人だろう。
そんなファンにとって、本作はやや苦めの内容になっている。

高校生ショーンと、超能力に目覚めた弟ダニエルの逃避行を体験するアドベンチャーゲーム。
前作では女性同士で、能力は「タイムリープ」でしたが、今回はある程度年の離れた兄弟。
そして操作するのは兄。
物体をふれずに移動、破壊できる「テレキネシス」に目覚めるのは幼い弟。
2人組×超能力×現代アメリカ。組み合わせは同じでも、全体的にビターな味付け。

人種問題も絡むし、なにが重いって、この手の「超能力少年」ものにあってほしい、
「実は強い少年がいじめられて、馬鹿にされて、ため込んでため込んで秘密にしてきた能力で最後にドーーン!!」みたいなスカッとする展開はほとんどない。

超能力は、ダニエルという美少年がかかえた爆弾。
接し方しだいで、弟は自分の力を過信して、二度と平穏な生活には戻れなくなってしまう。
能力のせいで、ダニエルの「腫れ物」感が強くなっているのがすごく好きなところ。


同じく選択肢で人生を決める「デトロイトビカムヒューマン」で、家事手伝いアンドロイドが小さい女の子を連れて逃げ出すシーンがある。
あれと似た選択を今回も迫られる。

「美形の貧乏人or不細工な金持ち、結婚するならどっち」
ってつまんない質問があるけど、このゲームでは、チョコバー1本を万引きするかどうかの選択肢でも唸らされる。

足がいたくてぐずる弟をつれて、家族と頼れない状況で、体も心もたいへんなストレスを抱えて、やっとたどり着いたみやげ物屋みたいな店で、何を買うか。
そして弟が大好きなチョコバーの前で「盗む」の選択肢が出る。

お、来やがったな、このゲームが俺を試してきてるな。

これからの旅路を考えると、所持金をわずかでも節約したい。店番は感じが悪い。
それまで、弟がはっきり「好き」とわかってるチョコバー。監視はされてなさそうだ。


他のゲームでは殺人もガンガンやれる自分が、この状況では万引きを躊躇する。
でも、遭難した人がチョコバーで命をつないだ話があるぐらいだし・・・弟にとって、より深刻なトラウマになることを回避できるかも・・・。しかも、そのあとにもう一段階、
「うわあ、こう揺さぶってくるか」展開を持ってこられて、この意地悪さがたまらん。
これからのアドベンチャーゲームの主流になるかもしれない。
ストーリーだけでなく、選択肢をつきつけられて、自分の性格が暴かれる面白さ。


シリーズに共通するのは
「主人公が芸術方面に興味があり、それが救いになること」
そして
「手帳や携帯電話を使ったキャラクターの見せ方」

前作では、次にすることを「手に書いてる」のが面白かったけど、今回ではショーンのスケッチブックにより多くの落書きをするようになった。

ときには、口に出してない、プレイヤーに明かしていない気持ちをいつの間にか書いていたり、1話と2話のあいだに何があったか、日記をさかのぼって読んだらわかったり、弟が勝手に荷物の中に松ぼっくりを入れてたり、
「プレイヤーが主人公のアイテム欄を管理できない」
ことは、このシリーズの偉大なところ。

プレイヤーは、彼らのリュックの中を覗くことができるだけ。
「プレイヤー=主人公」
じゃない。
イコールじゃないから、画面の向こうのふたりを間接的に見守っているような気になって、辛い。特に序盤は気が休まる場所がない。

ドラッグ、タトゥー、宗教といった扱いづらい文化にふれたり、体験版の主人公と出会ったり(ヒーローに憧れる少年と、望まないパワーを持ってしまったダニエルの対比がいい!)
やっぱり面白いところがたくさんあったし、何気ない家具や小物ひとつからでも物語を想像できる、情報量の豊かなゲームなので、ここで終わりにはしたくない。
第三、第四の能力者が現れることを願って。

「ザリガニの鳴くところ」を読み終えた。良かった凄かった・・・。




並行してプレイした「ライフイズストレンジ2」と共通する部分があって、
どちらもアメリカの辺境で親が離れていって、のこされた子が、才能のようなもので生きていく話だった。
そして両方とも最後は進めるのがつらくなる。ビターになっていく。ページをめくる手が重くて一旦呼吸を整える必要がああ!「どうせいろいろあっても最後は無事に終わるでしょ」とは安心させてくれない話である。
よりによってこの二つを同時にやっちゃうか!って思うけど、ほんと買ってよかった。よかった・・・。

ライフイズ2のほうが、沢山の人に愛された前作に比べるとどうしても売り上げや評価で厳しくなると思う。好きだけど、前作の2人の特別な感じが今思えばすごかった。
細部をぼかしたグラフィックも、小説のように、プレイヤーごとに実は違う映像として記憶されている。そんな気がする。ジョジョじゃないけど特殊能力だけ伝播させて3作目も作ってほしい。つぎは透視か、透明化か。ワープか。

「俳句は入門できる」めっちゃ良かった!!

「俳句は入門できる」


まんまと?手元のメモにボールペンで一句ひねり出そうとしてしまう面白さ。
ストⅡのボーナスステ-ジの俳句も、ブーメランを投げた後で一句読むブーメラン句会も、あやうく水難事故になりそうな状況の俳句の話も、全部。静かでスリリング。

スナップ撮影のように17文字を切り取り、意表をついた単語チョイスや、一文字の違いでカメラワークを操作して、背景のボケ味を決める。痺れるぐらい面白かった。


ボクシングを題材にした純文学や、将棋を題材にしたミステリーでも同じ感覚があったのだが、
自分は興味を持つことはないと決めつけていた分野が、想像よりずっと豊かな世界だったとわかることに、ゾクゾクできる。

未知のジャンルが、思ってもいないアプローチでやってくる。
世界には知らないものがたくさんある。すぐにでも始められる面白いことであふれている。
世界が開く喜び。
「ポメラニアンすごい不倫の話聞く」という句は、どこかで読んだことがある。どこだったかなあ。

内澤旬子「着せる女」の装丁がすごい!


スーツを着ない生き方を選んだ男たち、作家、写真家、編集者に、一流の店舗とフィッターを選んでスーツを着せるエッセイ。

ネクタイの結び方も忘れた男たちが、自分のためのスーツと出会ったときの、顔つきや心境の変化。
それだけでなく有名政治家や大統領のスーツの話、バブル時代の流行、女性用スーツを選んでいて感じる生きづらさなど、スーツからいろんな話が見えてくる。

そういえば、バラエティ番組でもこういうのある。「ダサイ旦那が大変身!」みたいなやつ。
見る目のある女の人は、服に無頓着な男に普段からイライラを溜めているのでしょう。自分の良さを殺していることに気付いてもないことに。


登場する男の中でも、カメラマンの森清さんはこの企画と相性が良かった。
見た目からしてワイルドで藤岡弘、が山道を歩いているときみたいなジーンズと太いベルトをしている。
「ネクタイをしたくないからカメラマンになった」
とまで言い放つ、スーツ姿におさまることが屈辱の男。

俺はネクタイはできない、第一ボタンは外させてくれ、と主張する彼に専門店のアドバイザーが、第一ボタンを外して着る用のシャツを提案する。
あるんだってさ!そういうの!
素材が良くて、ボタンの間隔が開いてて、首元がセクシーに見える、ネクタイ禁止シャツが!

手首のボタンの付け方も何種類もあって、デスクワークの人は手首を曲げるから1センチ長くとるとか、腕時計と手首の見せ方をきれいに飾るとか、
「足が長く見える」じゃなくて「長くなってる」パンツとか、あるんだってさ!

カリスマフィッター、本人の気持ち、着ていく場所、
3つの要素から、着地点を探っていく。

参加する男たちが、みな若いころに嫌った、スーツ文化との接触。
つまらない大人、退屈な生き方の象徴、スーツ。
だけど、粋なスーツがあることを理解して、自分を引き立ててくれるなら、着る。

肩があってないスーツを平気で着る男が多いのは、思春期に制服を着るせいで、自分にあった服選びが当たり前、の感性が育たないからではないか、と語る場面もある。
だったら合わないスーツの中で肩を泳がせるのも、日本的社会に染まったまま生きていることになるのか。



ところで、この本の装丁が、もう2020年ベストなんじゃないかと思うぐらい最高。
内澤旬子作品は、部屋の片づけや屠畜といった内容を、表紙のセンスでスタイリッシュにまとめているが、今回はさらに上に到達した。

実物は1:1に近いちょっと面白いサイズ感。上品だけどキチッとした色使い。カバーに、ちょっといい厚みのある紙を使っていてさわり心地がいい。

この表紙の姿が、本文で語られるスーツ感を現しているように見えるのだ。
中身を偽ることなく、いっけんシックにかちっとしたようで、実は中央のローマ字や帯に軽く遊びを入れている。
作中でもネクタイがある程度流行に左右されず、大胆な絵柄を入れたり立体的な結び方など自由に遊べる「ネクタイは装丁でいえば帯」と表現している。この本も、落ち着いた中に中央と帯で軽くふざけている。

スーツの素材の違いを説明する場面では、ハリのある馬のしっぽや、光沢のある素材はいい羊を使った良いものを、
カメラに映らない、しかし実物を見ればわかる高くていい素材感があると次々に紹介する。

聞いているだけでは実感がわかない。
でも、カバーの紙質がちょっといいので、
「コストはかかるんだろうけど、その分、なんかいいとしか言いようのない質感がある」ことが、カバーにふれる薬指と小指から説得力になって伝わってくる。

本も、スーツを着ているのだ。


「それユーチューバーじゃない、ヒルナンデス」

THE MANZAIでグランプリだった博多華丸大吉の「ユーチューバーになりたい」というネタは、たぶん今見ると、当時と味が変わっている。

数年前は、おじさんから「ユーチューバーになりたい」って言葉が出るだけで、面白かった。なんとなく聞きかじった言葉を言ってる感。テレビにたくさん出ている成功した芸能人が、今からYouTubeデビューっていうのも不思議な設定だった。

今は「えっ」と驚くぐらい超多忙な芸能人やジャーナリストが、そこでしか話せないことを取り上げている。

ネタでは「〇〇を食べてみた」という企画をやろうとして、旬のぶりの照り焼きか何かを食べる、しっかりした食レポを始める。
ベテランの食レポのうまさと、おじさんの可愛さみたいなのがジワジワ来るネタだ。

だけど
「YouTubeなのに若者向けとかけ離れたことをやってしまう」
笑いも今だと通用しない。年配の方が、料理や機械いじりなど専門分野の動画を配信するのは普通のことだ。


マヂカルラブリーの野田クリスタルが、一昔前までグレーゾーンだったゲーム実況をネタにしてR1ぐらんぷりで優勝した。
無観客で、この数分で笑いの日本一が決まるわけじゃないけど、落語も含めた今一番注目された芸が「自作ゲーム実況」になった。

いまの「わけわからん」は5年後のスタンダードになる。


「高学歴芸人」「高校野球芸人」みたいに、お笑い芸人が得意ジャンルを極めていくとこで仕事の幅を広げるのはよく見かける。

野田のゲーム紹介を見たのは深夜番組の「勇者ああああ」が始めだった。

この番組が生んだのは、ヤクザ&舎弟キャラ漫談で出てきたペンギンズ「ノブオ」。
ゲームプレゼンのうまさで成功して、すっかりゲーム芸人としてイベントに出たりしているらしい。

先日の放送でも、発売前はコマンド式RPGになって大不評だった「龍が如く7」をとりあげていた。
このゲームで一番分かりやすい紹介は、バカゲー的に、変なキャラの技をドーンと出すようなやり方だけど、
「前作までは強くてまっすぐな主人公だから格闘系アクションだったけど、新主人公の性格と生き方が、転職と作戦を切り替えるコマンド式RPGと親和性がある」と紹介していて、
うわ、この尺でこの紹介、ゲーム好きとして完璧に信用できる!って興奮した。

オレは好きなゲームを広められないばかりか、まず人前でシャキシャキ話せないから嫉妬した。

「三体」読み終わったー!

「三体」読み終わった。
良かった…。自分に絶対想像できないスケールの話をされると、圧倒されて感想出なくなる。

本屋でオープニングの1ページをぱらっとめくった瞬間に、初対面の「SF小説」とやらが発する難解な空気に圧倒され、スイマセンスイマセン私のような学のない者がスイヤセン、と退散したのだが、やはり何か惹かれるものがあり、SFの基礎から入ろうとアイザック・アシモフを読み始めたら、これが自分にすごくマッチしてむしろこっちが面白くてやめらんねえなコレっつう感じでSFの沼に足を取られていった。

古本屋の隅っこに眠る、昔の人の未来の話を、少し未来の私がページを開くことで、ひとつづつ解放していった。ページをめくるごとに、古い紙の匂いと未来の人類の思想が放たれて、夢中になっていた。

「三体」は文化大革命から始まる人類への絶望と、ゲームを知っている物なら逆に書けない奇抜なVRゲームと、寝ても覚めても網膜に映る謎のカウントダウンに襲われた科学者と、
「どういう教育受けたらこういうこと思いつくんだろう?」
というアイデアが連鎖していき、最終的には著者の圧倒的な想像力と知識にぶん回されてポイ、よ。あー面白かった。SFは人類に絶望しながらも、これからの生き方を考えさせてくれる。

次の本も買ってないし、シェンムー終わったからPS4のディスクトレイも開いたし、つぎは何をしよう。ウイルスの相手している暇ないぞ。

シェンムー3 レビュー


18年ごしにプレイステーション4で発売された「シェンムー3」をクリアした。
感想を書きます。ネタバレに触れますが、個人的にはネタバレが楽しみを奪わないゲームだと思っています。

父を殺した男を追う主人公、涼さん。
さらわれた父を追う少女シェンファ。
ふたりは、中国・鳥舞へ降り立ち、広大な街を歩いて、写真を持って聞き込みをして、敵の足取りを追う。

前半は花の咲き乱れる白鹿村で、後半は屋台とグルメの街で、聞き込みをくりかえす。
サイコロの目の大きさで勝負するギャンブルは、小さな村だからシンプルなルールしかないのかと思ったけど、都会でお姉さん相手にも全くアレンジなしのルールで遊ぶ。
どうやら、それぞれの場所ごとに、1と1が出ちゃったとき専用のセリフとかを用意している。

ほかのレビューでは言われていないが、好きではないのは、涼さんのマナーが悪いところだ。
屋台で聞き込みするときは、何か買ってからにしろ。
「ジョジョ」の奇妙なご一行でさえ、聞き込みのまえは
「そうだな アイスティーを4つ」注文して飲み干す場面があった。

涼さんは何も買わずに、屋台の人のいいおじさんおばちゃんに何度も聞き込みをする。
しかも、同業者に他の店の場所を聞く。
「うちで買ってけよ!」
には
「結構です」

涼さんの脳内には「復讐」の2文字が極太マジックで書いてある。10代で海外旅行に出ているのに、ちっとも旅の喜びや、異性への好奇心を見せない。
リアルなのに表情の変化が乏しく、食事するところを見せないのは、硬派を通りこしてターミネーターにみえる。

もともと、亡き父の「愛すべき友を持て」って言葉を胸に旅に出たのに、
「はあ…」しか言わない。
街の人に話しかけておいて、関係ない世間話が返ってきたら、わざわざ口に出して
「はあ…」って言う。
そんな態度じゃ愛すべき友ができないぞ。闘いにしか興味のない感じがどうも共感しづらい。

涼さんの態度が悪いことと関連して、この態度の日本人に80年代の中国の繁華街の屋台は親切にしてくれるんだろうかと疑問を感じる。
クラウドファンディングの一般人の顔がいたるところにあって、旅先なのに自分がフィギュアにされて売られている。
ここは、どこだ?
中国とされている、ここはどこだ。
作者の夢の中だから、存在しないはずのものが出てくるのか。
なら悪党のアジトにバーチャファイターのロゴが描かれているのも納得できる。


そんなプレイに疲れていたところ、ネタバレを見てしまって急にゲームが息を吹き返した。
ネタバレもなにも発売前から宣言してたらしいが、
「シェンムーはこれで終わらない」
ということ。

11章まで構想があるらしい。
「なんて壮大な話なんだ」
とは思わない。

「なんだ、ストーリー終わらないんじゃん」
と、情報あつめの仕事をいったん投げ捨てて、学校から帰るまでの下校中みたいな気分でゆっくり歩いてみた。

やらなきゃいけないことは先送り。門限まで買い食いして、人の目を気にせずガチャガチャの前に座りこみ、草花集めや釣りをする。
大人たち(ゲーム側)から、こうしろ、こう進め、こう遊べ、と押し付けられない。店のおじさんの顔がおもしろいとか、捕れないけど虫がいるとか、ポスターにこんなこと書いてあるとか、子供のように無心でふれると、シェンムーは独自の味がでてきた。


前作に登場した悪友のレンも、焼きそば屋の大盛りの大きさに文句を言っているところにバッタリ会った。このふたりのコンビになるとすごくいい。

レンは不良高校生みたいだけど、涼さん&シェンファのマジメ2人よりも、マジメ&悪ガキの組み合わせになったとたん、愛想のなかった涼さんのキャラが立つ。

喫茶店とか話ができる場所がいくらでもあるのに、食事をしながら話をしない! 秘密基地で作戦会議している男子小学生感がある。
ゲーム終盤の重要なアイテムの「万引き」をすすめられるけど、断って地道に働いて買うことにするふたりの違いもいい。

もう少し早く、鳥舞に行く船内くらいで出会ってくれれば、シェンファと3人でずっとクラスの仲良しグループみたいにゲームセンターで遊べたのに。引ったくりをつかまえたり、焼売食ったり、それだけで楽しそう。

ファイナルファンタジー15が、同性4人で観光地を回って釣りやキャンプをする修学旅行感のある旅になっていたけど、FF15が仲良しグループの修学旅行なら、シェンムーは下校途中の道草だ。

友達との下校は、自然に話や遊びがはじまるけど、ひとりの帰り道は寂しい。いつもと違うルートで歩いて、自分で遊びを発見しないといけない。

楽しくないとは言わない。今年いちばん長くプレイしている。
だけど、ゴールがある道は楽しめても、全11章の構想があるとか、果てしなく終わらない帰り道をただ歩くのは、つらい。


「シェンムー 第一章 横須賀」が出たのは1999年。

それまでは、3Dの空間で遊べるゲームがあるといっても、カクカクのローポリゴンが主流だった。
遊ぶ方は、ブロックに色を塗ったような家や木を見て、
「これは人なんだ・・・家だ・・・城だ・・・」
と、足りない部分を想像して遊んでいた。

だけど、シェンムーが発売したころは映像の質が一気に上がったので、
「この人は本当にいる!」と思えた人がいる。
それどころか、
「服も、家も、中の人が作って使っている! この木も、人も、育っている」
と、ゲームの中の世界を本物のように認識した人たちがいる。

本でも映画でもない、新しい世界を見てしまったシェンムーファンにとっては、主人公たちは単なるCGじゃない。
作り手は技術を、遊び手は想像力を使って、命を吹き込んだ人間だ。
人間だから、18年も時を止められていたことを、ずっと覚えていた。

それがついに動き出したと思ったのに、シェンムー3は、やっぱりうろうろ歩きまわる話だったし、完結もしそうにない。
涼さんたちは永遠にこの中でさまようことを宣告されたように見えた。


1作目が出たころ、
「シェンムーが完結したら最高の感動が待っている。ドラクエのような国民的タイトルになる。あとソニーに勝つ」
ぐらいに思っていたけど、完結しそうにないし、国民的じゃない。

フルポリゴンで街を作って、ガチャガチャで出るアイテムが全てポリゴンで、いろんな角度から眺められるのが「すごい」時代があった。
内容は同じでも、ゲーム外の状況が変わっている。
あのとき夢を見させてくれてありがとう、とコントローラを置いた。


フリープレイのバイオショックいい感じ


なんの因果か、世間で3連休のところをずっと凍えながら仕事するはめになった。
明日はより冷えるらしいから、どうせ外に出る気にならないと思って、いつかいつか読もうと思ってた「三体」を気が付いたらレジに持っていってた。
ちょうどアイザック・アシモフ先生の(勝手に先生呼び)はだかの太陽を終えたところで、その続きの話は、何年もたったあとで刊行されたようで、きゅうに入手困難になるようですね。
ゆっくりいくよ。ゆっくりとね。

PS4の2月のフリープレイが、PS3時代にヒットした「バイオショック」シリーズと、VRのシューティング。
ふたつとも主観視点のゲームで、ぼくは競技のように進化したプレイヤー同士での撃ちあいが苦手だけど、ふたつとも、その場所にいるだけで、見回すだけですべてが刺激になる素晴らしい手触りのゲーム。まだほんの序盤だけど、賛否がわかれたらしい「バイオショック」の空の街を歩くだけで愉しすぎる、どうしよう。ちゃんとゲーム業界にお金を落としたいのに、こんなの月500円でもらったら、また他の買う時間ないじゃん。
VRのFPSも、たぶん長時間は遊べないけど、背後に何者かがいるだけでこれほど恐怖と焦りが生まれるのか!って驚きを堪能できただけでおおむね満足。

日本が吹雪いてますね。
北極が最高気温を突破したニュースを見たばかりで怖かったので、不便でも、地球が冬は冷えることを忘れてなかったことで、つらくても少し安心します。
ティーバーで「有田ジェネレーション」見てもっと冷えよう。
冷えすぎたらコーヒーを淹れよう。ええやんええやん。いい感じと思い込めなくもない休日になってきた。



愛あるカスタマーコメントが切ない



試し読みでは「うーむ」だったけど、あまりの絶賛の声に気になっている。



みんなも読もう

アイザックアシモフ「はだかの太陽」読み終わった。


もともと「三体」とかを読む前の準備運動?で、古典をおさえてから現代のSFを読むつもりだったのに、アシモフをすっかり好きになってしまった。次はこのシリーズの3作目にするか、もうひとつの「ファウンデーション」なるシリーズにするか、一旦ほかの作家に行ったほうがいいか、迷う。どうしよう。


刑事とロボットが、完全にロボット社会になっている惑星「ソラリア」で殺人事件を捜査する。
人間1人につき100体をこえるロボットがつき、人間同士で会うことを極端に恐れて会話は全て通信で行うソラリア人が、どうやって直接的な殺人をしたのか。

ソラリア人とは逆に、地球人は人口過多で狭いドームの中で暮らしているから、人とふれることは平気なのに「自然」が怖いの。
ドームでさえぎられていない、太陽や地平線や、土の感触が怖い。

その異星人どうしが、ふたりで直接会って散歩をする場面がロマンチック。
なにもない場所に勇気を出して踏み出して、夕日や影に驚きつつも、自分の中の好奇心が!人間的な感情が!芽生えてくる!

異星人との文化交流をして、彼らはこんな思考をして、こんなことはできるが、これはできない・・・と生活様式を学ぶことで事件の解決に近づき、前作同様アシモフ本人の考えと思われる未来への希望で締める。

スタートレックも「撃ちあいじゃないんだ、交流なんだ」ってとこが面白いと思ったけど、はだかの太陽はすごくスタートレックっぽい。

その前に「地球の長い午後」も読もうとしたけど、どうしても状況を理解するのに時間がかかって、ページをめくる手が進まなかった。
これは「遠未来」のはなしで、すっかり地球が変わり果てたあとの植物に支配された星の話だから、現代社会から未来を予想して書かれたというよりは、ファンタジー小説に近い。
そのへんが自分の期待していたSFとは違ったのかもしれない。

つぎはこの一冊

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